東京美学倶楽部 —— 東京官学支援機構人文知普及プロジェクトのご案内
不確実性の時代、歴史の転換点、風の時代——色々な形容のされ方をしている昨今ですが、みなさんは日本の未来についてどのように考えていますでしょうか。実際、どんなに結果を出し実績を重ねてこられた方であっても、先行き不透明な時代にこれから先どう生きていくかを真剣に悩んでいる方は多いようです。確かに懸念点や不安材料も多いですが、逆に希望や展望などの期待感を持てる要素も少なくありません。しかし、これからするお話はそういう具体的なことではなく、抽象的な内容ばかりになると思います。というのも、「国とともに、人文知を守る」という個人の人生や生き方を超えた話だからです。
まず最初にこの文章の目的を言っておきますと、この理念に賛同いただき、共に人文知を守り、そして普及する活動を担う仲間を募ることです。ですので、ご関心のある方にはぜひお時間をとって読んでいただきたいと思います。
ところで、本題に入る前にひとつ断っておきたいことがあります。事前に共通認識を持っておきたい言葉の意味合いについてです。それは、「国」という言葉。いかがでしょうか。「国」や「国家」という言葉に抵抗感といいますか、拒否反応を示す方もいらっしゃるかもしれません。かくいう自分もそうです。ちょうどそういう教育を強く受けた世代でもありますし、こういう理念を口に出して言うことに抵抗を感じなかったわけではありません。ですが私たちのいう国とは、別に日本政府のことではありませんし、法律によって定められた国家体制のことでもありません。今の人たちが生きている間だけの国のことではありませんし、現在の国の状態や制度のことでもないのです。ここでいう「国」とは、もっと純度の高い、時間性の中にある概念的な国を意味しています。つまり形而上にある国家なのです。
そういうわけで、こういう言葉ひとつとってみても、現代人に刷り込まれた印象と私たちが意図する意味合いと、大きく乖離している場合があります。詩、禅、美、そして人文知……これらの言葉もそうです。誤解されることを承知で使っています。ですので、このことを念頭に置いていただいて、ここから先をお読みください。
さて、何度かメルマガなどでお伝えしているかとは思いますが、私たちがみなさんと共有したい問題意識は次のようなものです。
人文知を守らなければ
日本の未来はない
いかがでしょう。何を問題と捉えるか。そして解決のために何が必要なのか。その答えは人それぞれではありますので、己の信ずるところに従って日本のために行動されていることかと思います。それでも中には、「ビジネスのことばかり、日々の生活のことばかり考えている」「自分の仕事にはどれほどの意味があるのだろうか」「ビジネス以外で何か意義のあることはしてこれただろうか」そんな思いに苛まれている方もいらっしゃるかもしれません。また、ご自身の信念や信条に従って、寄付や支援、非営利活動をされている方もいらっしゃるでしょうが、中には自己満足で終わってはいないだろうかと葛藤している方もおられるでしょう。
私たちもまた「国とともに、人文知を守る」という理念のもと、日本のメタアカデミズム領域を支援してきました。メタアカデミズムとはあまり聞き慣れない言葉かと思いますが、この言葉には個別の研究者や団体を支援するのではなく、あまねく国の未来にとって必要な、より上位の学術領域を支えるという意図があります。しかしながら、本来実利とは無関係なはずの人文知領域でさえ、役に立つかどうかが評価基準として大手を振るっている現状です。いや、人文知に限らず、自然科学領域であっても基礎研究レベルは役に立つかどうかの評価から逃れているべきだと思います。にも関わらず、国でさえ実利・実用重視、経済重視で学問を評価する政策をとっており、国家観や倫理観の希薄な学者や、研究費を獲得することだけに奔走する研究者などが目に付くありさまです。
もし国家が、民間企業のように利益を追求するものであったなら、誰も税金を払おうとはしなくなるでしょうし、社会的弱者が救われることもなくなるでしょう。もし学者が、民間企業のように利益を追求するようになったとしたら、研究結果は歪められるでしょうし、誰も科学の言説を信じなくなってしまうでしょう。実際、もうそのような社会状況になりつつあります。今や知識人や専門家の言葉、または政府の発表を信じる人たちは、いくらお人好しの日本人といえどもだいぶ減ってきたのではないでしょうか。
なぜこのような事態になってしまったのか。その理由を端的にいうなら「形而上の価値判断を失っているから」と考えます。逆の言い方をするなら、役に立てばいい、儲かればいいなどの基準でしか物事を判断できなくなってしまったということです。このような考え方は、哲学の領域では「(ネオ)プラグマティズム」と呼ばれています。源流はヨーロッパにありますが、アメリカ発祥の思想であり、今世界を席巻している考え方のひとつです。今回は哲学の講義ではないので詳しい話は割愛しますが、このような思想にもとづく価値判断ばかりになってしまった結果、自己中心的で今だけ良ければいいという日本人が増えてしまったのではないでしょうか。私たちはこのような日本が抱える構造的な問題を哲学的な視点から分析・考察し、国に対する貢献のあり方にひとつの答えを導き出しました。それは「真の人文知領域」を守ること。人文 "科学" として括られていない本当の知性、実利・実用から逃れた純粋な知の領域を守り伝えること。それが、100 年後 200 年後の日本のために必要なことだと考えます。
歴史に思いを馳せてみると、なにも日本人は昔からエゴイスティックだったわけではありません。むしろ個の意識が希薄であり、公の意識のほうが濃いのが日本人の特徴だと言われてきました。それが今だけ、金だけ、自分だけの社会になってしまったのは、戦後の影響なのか、それとも明治維新以降の西洋中心主義の問題なのか……。個人主義が強いのは西洋や中華思想の特徴のひとつですが、その行き着く先が秩序の崩壊であり思想的な混乱であることは、わざわざ説明するまでもなく、少し歴史や海外のニュースにふれてみれば納得できることでしょう。プラグマティズムの考え方一辺倒になってしまえば、自分の利益のために明確な主張を持ち(自己主張)、その主張を押し通すことをあらゆる側面から肯定し(自己肯定)、肯定された自分の理想を実現して独善的な利益を得る(自己実現)ことが、道徳的で正しい生き方であるとの結論になるのが合理的なのです。
ただ、多くの日本人からすると首を傾げたくなるような理屈だと思われるのではないでしょうか。この世界には自他を超えた価値がある。損か得かでは測れない基準がある。そう思っている方も少なくないと信じています。なぜなら、過去の日本人の生き方がそうであったからです。そして今こそ、この日本人が連綿とつないできた生き方、考え方、行動規範の背景にあるものの重要性を再認識するときではないかと思うのです。それは「和」という言葉が象徴するように、個と個がぶつかり合い、どちらかが勝つことで正しさを示す西洋的なあり方とは根本的に異なるように思うからです。
といいますのも、私たちの国、日本は世界でも稀にみる歴史の長い国。いつ建国されたのか学術的に決着をつけるのが難しいほど長い歴史を持っています。これは歴史の分断がなかったことの証左。そして温帯に位置する島国で海に囲まれた風土は、とてもはっきりとした美しい四季のうつろいを見せてくれますが、これも世界では珍しい気候条件。日本語という言語もまた、他の言語との関連性がはっきりしていない独特な言葉として今もなお深い謎を秘めています。このような日本特有の美しさの中にこそ、私たちの社会が抱える問題を解決する糸口があります。確かに、日本的な価値観も昨今は毀損されているのではないかと危惧している方も多くいらっしゃいますが、まだまだ日本には希望が残されていると。そして日本が希望を失ってしまったら、いよいよ世界から形而上の価値が失われてしまうのではないと。私たちとしては、日本の未来のため、また世界のためにもこの問題を見過ごすわけにはいかないと考えております。
さて、ここからが本題です。日本の人文知を守るために寄付を中心としたアカデミズム支援から始まった私たちの活動も新たな段階に入りました。閉鎖的なアカデミズムの中にだけ留まっている人文知を広く普及していくこと。そして西洋中心主義のアカデミズムでは研究が叶わない領域の真の人文知をも探究していくこと。そのためのプロジェクトとして「東京美学倶楽部」があります。
東京美学倶楽部が掲げている美とは、真の美のことです。このような混沌とした世の中にあって、最後に残された唯一の客観知、その象徴が「美」です。そしてこの美(真美)は、日本知によってのみ表現しうるという結論に至りました。それは日本語という言語が持つ力と、遥か西より流れ着いて日本において完成された禅の思想。これらの要素が必要不可欠であるからです。言葉の始まりたる「詩」をもって、無分別へといたる「禅」をおさめ、事実ありのままの「美」にかえる——詩禅美に象徴したこのあり方こそ、真美探究の道、または悟りへの道なのです。
東京美学倶楽部に所属する研究員には、大きく二つの役割があります。ひとつは美を探究するという役割。もうひとつは真の人文知を普及する役割——大切な日本の価値を伝えていく役目を、事業として、ビジネスとして担っていく役割です。私たちとしては、後者のビジネス領域への覚悟を持った方に積極的に加わっていただきたいと考えています。というのも、この社会構造の中では、人文知を普及するためにはビジネスとして取り組むことに意味があるからです。なぜなら、ビジネスとして取り組む以上、矛盾や葛藤、困難は当たり前であり、人間の頭で考え出した正解や不正解、正義や不正義、善や悪などでは太刀打ちできないことを身をもって知れるからです。そのような環境で結果を出し、税金を納め、日本に貢献する。このあり方が真美探究への道であり悟りへの道そのものです。
もちろん、自らが美を摑むことや悟りに至ることを目的として頂いても構いません。実際そういうメンバーも在籍しています。それに真美探究や悟りの求道は、自分のためにあるように見えて、実際はそうではありません。この生き方を志すことそのものが、自他を超えたもののために生きるということであり、だからこそ個人の人生観やこれからの選択を一変させてしまうほどの力を持ちえます。美にも悟りにも興味ない方もいらっしゃるかもしれませんが、大切なことは悟れるかどうかではありませんし、むしろ興味ないほうが執着していないぶん良いのです。実社会が実利・実用的な価値判断や評価基準で営まれてしまうのは、こうれはもう仕方のないことです。その中で人生からも社会からも逃げずに結果を出そうと思えば、さまざまな葛藤に苦悩することもあるでしょう。それも当然のこと。だからこそ、どこかで形而上の知、真の人文知としての「詩禅美」にふれていることが大切になるのです。
東京美学倶楽部とは、「美とは何か」について教えてもらう場ではなく、ともに考える場です。答えを求める場ではなく、知を見つける場。そして、理解を目指す場ではなく、矛盾を楽しむ場です。このような唯一無二の環境に身を置くことの意味と意義、そして価値を考えていただけたらと思います。
それでは、少し具体的な話にも移りましょう。まず東京美学倶楽部は毎月研修会と理事会の大きく二つの場を提供しています。研修会は「禅」について深める日と「詩」について深める日——つまり 2 日間に渡って行われています。それぞれは「美禅門」と「三思文学」と呼んでいます。事前に課題となる問いが出されるので、それについて考えたり詩を作ったりして臨みます。その場では本部長(山本)による課題へのフィードバックがあり、ワークや講義が行われる場合もあります。理事会は本部長が主催する美術館訪問や面談などの場です。特にビジネスのことについて、人文知普及の施策について相談したり意見交換をしたりしています。その他にも非公開 Facebook グループ上で提供されるコンテンツやオンライン会員サイトで提供されるコンテンツ。オンラインミュージアムや文芸展への詩の出展権。さらに広報室の西尾や私葉多のほうで提供するコンテンツなども用意しています。
入会費は一般的には高額な部類に入ると思います。ですが、大学ですら形而下の学びばかりで、まるで職業訓練校のようなありさまですから、それ以上の学び——形而上の知にふれること——にどれほどの価値があるのかは、多くの方にご理解いただけるかと思います。価格は単なる数字ではなく、その知がもたらす変容の深さと主宰者としての責任の大きさを反映したものです。真の人文知とは、人類の数千年に及ぶ思索を背負い、人の生き方を根本から変えるほどの力を持ちます。医療が命を、建築が暮らしを支えるように、人文知は人生そのものの意味を支えています。意味などないこの世界で、生きる意味を与えてくれます。であるがゆえに、不純な知では人生の方向性そのものを狂わす危険性があるといえるでしょう。今後ますます人としての存在意義が問われる時代。このような人生や社会の構造にまで影響する知にふれる場には、それ相応の重みが必要です。加えて、同じ志を持ち大義に傅く研究員とのつながりに高い価値を認める人も少なくないでしょう。
詳細はオンライン説明会にてお伝えさせていただければと思いますが、参加の判断をする前に本部長と一度話してみたいという要望もあるかもしれません。そもそも本部長である山本雄一郎という人間についても多くを説明してはいませんので、どんな人物なのか気になっている方もいるかと思います。東京美学倶楽部は本部長が主体となって運営していますので当然の疑問ですし、私たちとしても本部長のことについてはしっかりとお伝えしておきたいと考えています(ただし、真の人文知という形而上領域の価値以上に、人で判断するのはやめたほうがいいと考えます)。今ここで本部長について一言添えるならば、「大義に生きることを体現している人物」だといえるかと思います。本部長との面談を今この文章内で確約することはできませんが、できる限り調整させていただきますので、ぜひご希望ください。
さて、長くなってしまいました。ショート動画や倍速再生、短文投稿が流行る中で、このような長文を、しかもウェブ上で読んでいただくのはなかなか骨が折れることだと思います。ですが、文章を読める人、言葉に向き合える人でないと、東京美学倶楽部での学びも活動も厳しいと思いますので、あえてこのような飾り気のない文章でお伝えさせていただいた次第です。
私たちは「日本の人文知を守る」という理念に賛同いただける同志を求めております。東京美学倶楽部はこれまでにない、形而上の知的体験ができる最上の学びの場ではあります。それはもちろん個々人の幸福や利益追求にも叶いますが、それ以上にこの国のため、この日本の将来のためだといえます。みなさん自身の深い学びと詩作の経験は、必ずや周りの人たちへ良い影響を与えることでしょう。そして次世代へと日本の大切な価値を伝えていく一助となることでしょう。自分にとって有益かどうかというエゴイスティックな言葉ばかりが耳に入ってくる現代社会において、最後に残された純粋知の砦たる詩禅美。自他を超えたものの価値を信じ、わずかなりとも大義に傅く生き方に興味を持っていただけたのなら、ぜひ説明会へご参加ください。お待ちしております。
東京美学倶楽部 上席研究員
同 広報室室長
葉多 圭弦
追伸
このご案内は、来年 2026 年 1 月開始の新規会員募集となります。まだ入会期限までは日にちがございますが、十分にご検討いただく時間を確保していただくためにも、説明会へのご参加はできるだけ余裕を持った日程でご予約ください。まずは以下のフォームからお申し込みいただき、その後自動返信メール内に記載されている日程予約のリンクから、ご都合の良い日時をご予約くださいますようお願いいたします。